前回に引き続き、リーマンパロを描くつもりがこんなになりました。
トラ年だからでしょう。うん。
ティーダが入らなかった一品。
フリオニールから擦り寄っているという、珍しいシーンでもあります。
あんこくのほっぺたはまあ、ガチガチ(金属)なんですけど、気にしない。
ところでこの組み合わせは、まるで『百万回生きた猫』ですね。
それが転じたのが『赤い翼』ですね。
なんだか色々と可哀相な出来になったバッツ。
薄着なのは『そもそも傷を負わない(攻撃を受けない、当らない)』からだというのが一番な理由だと思っています。
諸々(主にフリオニールとの関係)語りたいのは山々ですが、一番下だけポイントとして抑えておいて頂ければいいかしらと。
バッツは世界の成り立ちも自己存在の(自分にとっての)無意味さも全部知っていたんだと思っています。
どこにも繋がらない、どこにも行けない。
でも、自分、はいるから、自分は自分として『存在』しよう、するんだと。
『楽しい時間って〜』は、あれはぜーんぶ知ってたんだろうな、と思えた一言です。
対エクスデスのセリフが一番顕著です。
存在はするけど実在はしない。
それが『駒』。
それがこの、自分。
駒に付随している意思とか『記憶』は完璧な無意味、ではないとは思うんですが(フリセシ1
on 1 なので最大限に利用します)、<バッツ>にとっては無意味だったんだろうな、という話(認識)です。
彼は風であり、旅であり、導く人だからです。
つまり、彼のスタンスは、どこで、どんな姿であろうとも唯一不動のものであったが故に、逆に縋ったり固執するべき要素がディシディア世界には創り出せなかった(創りえなかった)んだろうと。
『個(しかも自分の)』の認識から入ったであろうバッツはディシディア世界には1点の未練もない。
『記憶』の認識から入ったであろうフリオニール(とセシルとティーダ)には、感情の方がより助長してしまったが故に、未練的なもの(まさしく感情)が育ってしまった。
んだとおもいます。
EDのねーセリフがですねー。
うまく纏まらない感じなので、失踪してみます。アデュー。